薬物依存症の方の心情について
2025/10/15
薬物には、向精神病薬と、抗精神病薬がある。
前者は、精神状態に影響を及ぼす薬物、後者は精神疾患を改善するお薬である。前者には、違法な薬物も含む。
たとえば、抗精神病薬のエビリファイは、ドーパミン受容体を刺激するという点では、向精神病薬(違法薬物)の覚せい剤と同じだが、前者にはパーシャルアゴニストといって、ドーパミンの無制限の放出を抑制する機能がついている。
いわば、原子力発電所と、原子爆弾の違いである。原理は同じだからと言って、原発も危ないというのは、いささか机上の空論だろう。同様に、抗精神病薬についても、もちろん危なさはあるが、私は、必要なものだと思っている。
さて、話を戻すが、大麻や覚せい剤などの向精神病薬だけでなく、抗精神病薬でも薬物依存症は起こる。これを処方薬依存症ともいう。
「効果的な精神科面接」(平島奈津子著)では、「(薬物依存症の)患者の中では、薬=治療者と感じられて、過剰服薬することによって、治療者を呑み込み、破壊し、融合する願望があった。そして、その背景には、治療者という親密な他者との間にできた短期間の空隙(治療者の休暇)が、その患者にとっては永遠の喪失として感じられていたことがあった。」とあった。
整理すると、病院に行き、治療者と話したいときに、休みだった。だから、医師と話せなかった。死別したかのような寂しさを感じた。そこで、薬を医師だと思うことにした。そして、薬と融合していつも一つになろうとした。それゆえに、過剰服用した。
そういえば、鬼滅の刃の映画で、電車と一体となった鬼がいたが、そういう感じで、薬と一体となったのかもしれない。
その対象が薬ではなく、男性の場合は、トルストイの「アンナ・カレーニナ」にあったように、女性が抱く恋人である男性と一体になって融合したいという一種の破壊願望は、理解できなくはない。男性が女性にそういう気持ちを抱く場合は、ファムファタル的な願望になるだろう。
ただ、その対象が、人外のものになるという点が、処方薬依存症の原因だろう。薬物そのものの依存性という観点からみると、違法薬物よりも処方薬のほうが低いため、後者はより心因性が高いとも考えられる。
「恋愛は信仰の疑似体験」という宗教学的な観点から言うと、恋人への思慕の想いが神へと昇華されるとしたら、処方薬依存症は偶像崇拝的ともいえるかもしれない。
ただ、人に抱く想いが、物にも抱けるという点が、つまり、人と物の区別が希薄な点が、特徴的だろう。
コフートによれば、「乳幼児はその生存のために、あたかも乳幼児の一部のように欲求を満たす共感的な母親のような存在を必要とする」らしい。「乳幼児は、成長するにしたがって、変容性内在化によって、自律していく」。つまり、母親を自分の一部として組み込むらしい。我がママ=わがまま ということか。内なる母によって、安定するらしい。
しかし、その発達が阻害されると、いつまでもその内なる母を外に求めてしまう。それが、何事においても他者の承認や賞賛が必要になるという自己愛の問題が生じてしまうようだ。
それが、人ではなく、薬になるということが、処方薬依存症の方には起こっている。つまり、薬が、「幼子にとっての母」になっている。だから、薬の役割を考察することで、処方薬依存症に改善がみられるようだ。
そして、そういう複雑な処方薬依存症の方の心情を理解しないと、「患者から思わぬ攻撃や、有害なプラセボ効果の慢性化」を招くそうだ。職場だと、従業員さんからの逆パワハラや、思い込みによる労基署への通報や労働裁判というところだろう。
全ての人の心を理解して、寄り添った会社運営、寄り添った診療が必要だろう。
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